昭和46年6月13日特別奉修委員
[嫌いなものがあることは神様の機感にかなわぬ。]
(?)あー、お供えを頂くんですけれどもそれがあっちこっちにからいろんな(?)もー喜ばれるだろうとおもわれる 食べ物に好き嫌いはないのですけれども、かわ魚だけがいただけません。それかというてあのー御神酒なんか頂いてちょっとぽーっとしたときなんかは、(?)頂きますし、たいなんかいつもおいしいこんなおいしいものをね(?)です。
それはね、あのーその(?)またこりゃまたもう特別に(?)あやべさんのところからこのように(はやを?)それこそもうどうして(あげんにらむじゃろうかというくらいにみちゃりますから?)あー(?)頂いたもうそれは本当においしいですね。
それがもう家内がこういうこというんですよ、(?)かわざかなはもう誰もたべきりまっせん(わたしも?)あの幹三郎だけです、だあれんたべきらん、(修行の先生たち?)もたべません、もう(?)あーずうずうしかね、ところがあのかわざかな(?)あの頂いてください、(あーすかんの?)(さん?)がもういうたそのすがたがですね、あまりにそのもう(?)こうふみきるような言い方するけんですね、すかんもんがあることはいけないって家内が思ったそうですよ、それからまぁ私はもう一生懸命でかわざかなを食べるけいこをしよりますっちいいちかだしましたもん。
そいけん(?)ばってん(おまえもそげなんけいこするならおれもけいこさせていただくぞっち?)ま昨日いただいたわけでしたけれども、嫌いな(?)もうそれでも神のきかんにかなわん。そういうことは、ね、だからわたくしはまぁ(?)ゆうならまぁしかたがないけれどもですよ、たべてみりゃあ美味しいというものがあるです。私は かわ魚が(にがて?)こういうことも本当にちょいと美味しい(?)もそりゃあもう本当に美味しいです。私は美味しいと思うんです。けれどもすかんですからね。だからね、おかしいでしょうが、(?)日常生活(?)食べてみれば美味しいものを食べんですかんすかんって言いよることがたくさんあろうかと思うですよね。
ですからそれをあの、例えばあのー、家内なんかはもーぜんぜんあの私よりかすかんとです。それをやっぱりそのーすがたをみせたときにですね、こりゃすかんもんがあるといかんと思うて(あの池崎きゅうこうさん?)この努力がいるのですね、その努力がね、その努力がね、あのおかげを頂く。こうやって私がもーここでもうこの人(こんなたよったもんふーふーすかん?)ちゆうごたる人をですね、一生懸命すきになるけいこをさせてもらうと、その人の向こうに、確かにおかげになることには間違いない。
まー例をいうと、まだわからんそういうわけにはいきませんから申しませんけれどもね、この人は(こんな体質はふーふーすかん?)ちゆうとば、一生懸命好きになるけいこするとね、嫌いなもんの向こうにはぁーと宝のごたるようなものが(ふせ?)られてあるということです。
先ほど、安藤さんからお届けがあったんですけれども、(あいまい?)な問題がおきて、お願いしてもらったらね、御神願に「だしこぶを頂かれた。お三宝にこうのっておる」ね、しかもその(?)ね、このくらいばっか、あのーへびをあのーつぼの中にいれて蒸し焼きにしたのを、よううってあるところがあります(みいや?)にいくと、もーうずら(?)まま、蒸し焼きになっているんです。それが(この上にちょこんとのっておるところから?)ね、ですからもう本当にそのその難儀な問題が、もちろんめぐりのおとりはらいでもありましょう、またはその難儀の問題こそ、神愛でもありましょう。神様のね。
もうだから難儀な問題(誰でもすぎがないですけれども?)実際目の前に(くりきたもんですから?)これをのちの(?)頂いたらね、いわいる、喜びのうつわということですこぶということは。ね、喜びのうつわと、ね、しかもそれを喜んでうけて、有難く頂けばそのことが、こんどは(体に?寛大に?)自由になるちゆうこと、ね、あの、へびの、へびはめぐりとおっしゃるんですが、そのめぐりを蒸し焼きにしたのは、(せいぶんがつくようにといって?)頂く薬ですよね、そういう薬になる、力になる、嫌いな物、嫌なんだけど、それを頂くけいこをさせてもらうということがね、頂くということはそれが力になる。いや、そういう嫌いな物の向こうの方にです、普通では頂けない素晴らしい宝が、(ひそめてあると思うってすね?)
本気で私はそのところにとりくまなければいけないとおもうね、あんたたち夫婦はもうすかん、もうこんなものは(?)夫婦がすかんっちゆうときのあの態度ね、こりゃもう家内が(?)いいながらご飯を頂きました。(?)そのんであのもう頭ふってこうやっていう、その姿がです、すかんならすかんで(?)黙っておけばいいのにこうしてから(軽く笑い)また(あげなんところがありますもんね?)それを見てから、そばにおってからですたい、なら、すかんものがあるとこういう態度をとらなにゃらんことはね、いけないことだとおもって、私も(多分けいこしよりますよっちゆうてから昨日いいますもんね?)
ですからそういうやはり稽古がね、必要必要でございます、それが願って願ってやまないおかげがそのむこうにあると思ったら、いよいよ本気で稽古せんといけんということを分かりますね。